お酒を題材にした詩でまず思い出されるのは、李白による「花間一壺酒,獨酌無相親」で始まる五言古体詩の四首連作「月下獨酌」※1でしょうか。
この春のお酒を詠った詩は、学校の漢文の時間でお馴染みですよね。

さて、いつの時代も、お酒は為政者の管理に置かれています。
今の世の中も当然ながら酒税法及び酒類行政関係法令等解釈通達によって、国により数量による従量課税方式をとっています。
個人で楽しむのであれば、自家製でも良いのかという論点で酒税法第七条について争われた、いわゆる「どぶろく裁判」が、平成元年12月14日に最高裁判所により、被告人の上告を棄却し、「酒税法七条一項、五四条一項の規定は、自己消費目的の酒類製造を処罰する場合においても、憲法三一条、一三条に違反しない」として、有罪が確定したことが思い出されました。※1

では、当時の状況はどうだったのでしょうか。
もちろん当時も例外ではなく、徳川幕府は、その発した政令により、御料所(公領) ※2、私領 ※3を問わず、お酒の醸造高を制限するとともに、巡検使を派遣して監視していたようです。
この巡検使による監視は、当時、禁教とされた切支丹(キリシタン)宗門と同様に厳重に行われたともいわれます。
これに伴って岡山藩も、米価の変動に影響があることから、厳しく取り締まり、明暦年中(1655~1657)には、農民の飲酒を固く禁じたりしています。
また、幕府の政令に基づき、様々な政令を設け、違反が発覚すれば、営業停止の上、醸造器具を没収、場合によっては欠所(闕所)※4 とされることもあったようです。
そして最初に書きました酒税法のように当時も酒屋株といわれる免許制度の下にお酒の醸造は行われていました。
この酒屋株は、文化三年(1806)九月に五穀豊穣による米価低迷の際に、酒屋株の有無にかかわらず、醸造が許された例外はあるものの、元禄十年(1698)年のように、犬公方と称された第5代将軍徳川綱吉の世に、京・大坂を中心とした奢侈な町人文化となったため、高率な運上※5 がお酒に課されたことさえありました。
(例えば、元禄十年十月六日幕府公達には、
一 酒商賣人多く下々猥に酒を呑不届成儀共仕候に付今度酒運上取立運上に應じ酒の直段高値に成下々酒多給不申積就夫酒屋減候分は其通に候事・・・以下略)とある。

ところで当時のお酒の価格も公定価格が定められていました。
岡山市史には、寛文九年(1669)五月評定留として「當町酒の代例年此時分に定め候。大坂上酒壱升壱匁五分に候故、當地の酒壱升壱匁三分程に上げ可申哉」の旨、町奉行稟申老中允可の趣を載す。依りて藩府は啻に醸造額に制限を設けしのみならず、米相場と同じく酒直段をも壱升に付き壱弐分方下直を以て大坂に準ぜしめしものといふべし。蓋し大坂に準ずるの理由、大坂と岡山の米相場の関係にも存するものの如く、且つ當時の記録には、大坂、奈良の酒値段をも年々参考に資したるの迹あれば、或は大阪、奈良の地を以て幕府直轄の地となすが故に然るか」とあります。
つまり岡山藩では、幕府の直轄領であった大阪・奈良のお酒の値段を元に、町奉行が老中に許可をもらっていたこととなります。
また当時の大阪は、岡山藩をはじめ、多くの諸大名が蔵屋敷を構え、お米の取引が盛んに行われていたことから、大阪の米相場との深い関係がうかがい知れます。
では、寛文九年のお酒の公定価格はというと、金1両を10万円で計算してみます。※6
100,000÷60≒1666.7つまり銀1匁1666.7円となりますので、
大坂 (上)酒 一升 1666.7×1.5≒2,500  約2,500円
岡山 (上)酒 一升 1666.7×1.3≒2,167  約2,167円

さて、次にお酒作りから見てみることにしましょう。
備前岡山は、米どころ岡山でご紹介した酒造好適米である「雄町米」の存在に加えて、備中杜氏の存在が挙げられます。
岡山県内で酒造技能者である杜氏といえば、備中杜氏を指すといっても過言ではありません。
この備中杜氏の起源ついて、記録によるものは無いとされるものの、今を遡ること320年あまり前の元禄時代、岡山県西部(旧:玉島郡大島村大字大島中及び正頭地方)地域から、毎年、酒造の時期に多くの季節労働者が神戸・灘地方に酒造下働きとして従事し、その間に、自然と丹波杜氏の技術を習得し、独立して杜氏となった人が多かったそうですが、世間の人は、彼らを大島杜氏、大島流と呼んだそうです。
また大島村一体が、土地が痩せているため、農業だけでは生活が出来ず、漁業を副業としていたため、特に酒造の季節である晩秋から冬の間、漁業より収入の面で有利だった酒造に従事する人が増えたといいます。※7

岡山は、三大河川に代表される豊かな水源、酒造最適米、そして卓越した技術を有する備中杜氏により、美味しいお酒に恵まれていました。
さらに当時は、寛文七年(1667)正月に、上方のお酒が岡山で初めて販売することを許可されていますが、貞享元年(1684)9月に、米価維持を理由に町奉行の申し出により、上方酒の仕入れが禁じられています。
とはいえ、当時、岡山のお米の価格は、他国米の売買が禁止されていたこともあり、大坂の米相場より遥かに高い価格であったことから、岡山藩内の酒屋株を持つ醸造元は、上方のお酒を仕入れ、岡山米を使った自家醸造を見合わしたことにより、しばらくの間、お米の価格が下がったそうです。
もちろん完全に上方のお酒が手に入らなかったわけではなく、藩士であっても、正式なルートを通じて許可を得ることによって、手に入れることが出来たようです。

今の世の中、日本全国の地酒がインターネットで注文でき、数日のうちには、手元に届きますが、岡山の誇る美味しいお酒を、その由緒を紐解きながら堪能するのもまた楽しいことでしょうか。

※参考 岡山市史(大正9発行)「萬賣買株(酒屋株)」
※1 酒類製造免許制と酒をつくる権利 どぶろく裁判 最高裁平成元年12月14日第1小法廷判決(理由・抜粋)
酒税法の右各規定は、自己消費を目的とする酒類製造であっても、これを放任するときは酒税収入の減少など酒税の徴収確保に支障を生じる事態が予想されるところから、国の重要な財政収入である酒税の徴収を確保するため、製造目的のいかんを問わず、酒類製造を一律に免許の対象とした上、免許を受けないで酒類を製造した者を処罰することとしたものであり・・・(以下省略)
※2 御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)幕府の直轄領、公領とも。
天領は明治時代に、それまでの幕府直轄領を天皇の領地と変更したことによる。
※3  私領⇔公領 大名・旗本の治める領地。
※4 1 欠けているところ。2 (闕所)中世、没収されたり、領主が他に移ったりして、知行人
のいない土地。闕所地。3 (闕所)中世、所領・諸職を没収すること。4 (闕所)江時代の刑罰の一。死罪・遠島・追放などの付加刑で、田畑・家屋敷・家財などを没収すること。 《デジタル大辞泉》
※5  運上・冥加とは、江戸時代の営業税・営業免許税にあたり、商工業者などに課税されていたものです。運上・冥加は、幕府は幕府の直轄領に、藩は藩の領地に課税するなど領主が自分の領地に合った税制をとって課していたため、領主や地域によってその種類や課税方法が異なっていました。 《国税庁サイト》
※6 金1両=銀60匁=銭4,000文 銀1匁=銀10分 (ただし時代によって公定相場に変化があった)
※7 「玉島酒造一班」 日本醸造協会中国支部 編 (日本醸造協会中国支部, 1920)