いつの時代も税金というものが存在しますが、岡山藩の税金の種別を大別すると、
(1)年貢/土地の総生産額を標準として農民に課税・主税的存在であり、天変地変など自然の驚異が藩の収入を大きく左右した。
(2)運上銀/間接税的な存在
(3)冥加銀/一定の税率はなく、強制でもない。一部町人からの上納。
(4)萬請代/鑑札料(免許税)
(5)地子銀/固定資産税※検地畝高を課税標準ただし市街地は地価を課税標準とした。
(6)町役銀/自治会費用
となります。

以前ご紹介した問屋株など運上という営業にかかわる間接的な税金ではなく、今回は藩の財政の基盤となった税制(1)年貢について見てみることにしましょう。
この年貢について、四公六民、五公五民など、課税の割合をお聞きになったことがあるかと思います。
幕府の定法では四公六民といわれますが、各藩の経済状況によって、実情は異なっていたようです。
では岡山藩の経済はどうだったのでしょうか。
岡山藩の朱印高※1は315,200石ですが、あくまで表高となり、実際、全ての耕作地、いわゆる残高が約360,000石余りとされ、これに物成(年貢)が約200,000石※2が課せられていたことから、年貢の比率は大まかに計算すると六公四民だったと推測されます。
この年貢米については、以下のような算出式が使われていました。

【田の収穫量による区分】
(上田)1反あたり2石もしくは1石5斗
☆2石 定免※3 7割・1石5斗 定免 6割
(下田)1反あたり1石
☆定免 5割

【計算式】
①田の石高×定免=物成高
②物成高÷6/10=有米高
③有米高÷5/10=有籾高
④有籾高×6/10×5/10=年貢米
この年貢米に加えて更に農民の負担として夫役 (ぶやく)※4 の代わりに徴収した上納米としての夫米、年貢米に付加された追加税米としての口米※5がありました。更に籾藁代も徴収しているのですから、いかに農民の負担が大きかったか、想像を絶するものがあります。
ちなみに、この夫役に代わる夫米は、物成(年貢米)100石につき6石、口米は物成(年貢米)100石につき2石とされたようです。
さらに籾藁代は、物成(年貢米)100石につき6斗5合とあります。
ましてや口米については、代官・町奉行の個人収入となっていたのですから、年貢というよりは、為政者の役得としか思えません。
とはいえ、年貢(物成)・夫米・口米・籾藁代が、定米といわれる年貢米の総額とされています。
さて年貢について、お米以外にも、黍・大豆で代納も認められていました。
ただ換算率は、黍1石=米5斗、大豆1石=米7斗と定められていたようです。

このように江戸時代の年貢は、とても重税であり、天候不順における飢饉の際には、さらに重税感があったと思います。
もちろん他の諸藩と同様に、幕府から大名の勢力を抑えるために参勤交代・江戸城等の改修費用に加え、特に岡山はその地理的状況から、牛窓における朝鮮通信史の接待など、様々な負担を強いられ、いかに池田光政公以降、質素倹約が藩是とも考えられ、支配階級である武士だけではなく、町民階級の奢侈な文化を抑制した岡山藩でも、その内情は厳しく、窮余の策として大坂の商人に頼るだけではなく、その財政的な根幹を成す年貢に重い負担がかかったのでしょう。
今の世の中、農業を営む人に対する税金は、農業収入に係る税金と農地に係る税金とに大きく分けられます。
農業収入には、専業農家か兼業農家ということもありますが、農産物・畜産物の販売、農作業の受託収入などがあり、これらの粗収益から農業経営費など必要経費を差し引いたもの対して、事業所得として税金が課されることになります。
【総収入金額】-【必要経費】=【事業所得の金額】
もちろん所得税を含め、さまざまな税金が課せられていますが、一概に対比できませんので、今回ご紹介はしません。
また農林水産省サイトに政府統計として農業経営統計調査が掲載されていますので興味のある方はごらんになってください。

《参考》
・岡山市史 岡山市 編 大正9年発行
・封建社会の統制と闘争 図書 黒正巌 著 (改造社, 1928)
※1 江戸時代、朱印状によって所有を確認された土地の、朱印状に記された石高こくだか。御朱印高。《大辞林 第三版》
※2 寛永九年(1632)物成198,000石余り
※3 《「免」は年貢の賦課率のこと》江戸時代の徴税法の一。過去5年・10年・20年間などの田租額を平均して租額を定め、一定の期間内はその年の豊凶に関係なく、定額を徴収したこと。風水害などで損害が著しいときは、破免という処置をとって減税した。→検見(けみ) 《デジタル大辞泉》
※4 〔「ふやく」とも〕人身に課税すること。特に,労働課役のこと。中世の佃つくだの耕作や貢租の運搬,近世の助郷すけごうや川普請役など。ぶえき。《大辞林 第三版》
※5 ①近世の雑税の一。年貢米に付加された追加税米。幕領では初め,代官所の経費にあてられたが,享保10年(1725)以降は幕府に納入。
②見本として俵から抜き取られる米。検査者の得分となることもあったことから,付録・心付けの意にも用いる。 「お定まりの-ながら/滑稽本・続膝栗毛」《大辞林 第三版》
※1反= 300坪 = 991.74㎡ = 約10アール